録画をお願いしていた友だちから「小林賢太郎テレビ」のDVDを送っていただきました。さっそく観ました。ポツネンでおなじみのハンドマイムやモノグラムの穴、ガジェットなどを交えて、さらに新しいネタを入れたポツネン氏の日常のコントもさることながら、小林賢太郎の仕事場とネタを作っていくプロセスなどのドキュメンタリー部分とインタビューも興味深かったです。だいぶ丸くなったなぁ。自分のやっていることにたいしての揺るぎない自信が感じられました。
以下、自分の脳みそ整理用チラシの裏的メモなのでたたみます。
「おもしろい」ということには「笑える」以外にもいろんな要素があって、自分はそれも含めた「面白い」を表現したい、と小林氏は語っていました。確かに彼がやってきてることを観てると普通のお笑いとは一線を画したものを作りたいという気持ちは伝わってきます。でも、もう一歩物足りないというか、突き詰め方の方向が違うようにいつも感じてしまいます。他の表現者のステージや映画などで、ガハガハ笑って気がついたら涙がぽろりとか、「うーーむ」と考えさせられながらでもエンターテイメント要素も満載、という小林氏言うところの「面白い」作品を見ると、それらの作品のような感情を揺さぶられるようなものを小林氏の作品からは私は受け取れない原因は、これはきっと表現したいものの根っこの部分の差なんだろうなぁ、と思います。非常にベタだけど、例えば「生と死」とか「生きることのむなしさ」とか逆に「生きることのすばらしさ」とか、とにかくどんなメッセージであっても作者本人の中からあふれて出てくる「芯」みたいなものが先にある人と、小林氏のように、こういう道具(装置・仕掛け)を作って何かをやりたい、じゃあ筋はこうしよう、という作者ではどうしても見てる側に伝わってくるエネルギーの温度が違ってくるのは仕方がないのかも。お笑いでもなく演劇でもなく、まさしく小林賢太郎にしか作れない世界なんだろうなぁ。小林賢太郎を見る場としてのステージとでも言いましょうか、彼の舞台はそういう位置づけなのかなぁ。