此処 彼処 (ここ かしこ)

此処 彼処 (ここ かしこ)

本を読む楽しみには、自分には思いも寄らない考え方や感じ方を楽しむ場合(フィクションはこっちのほうが好き。)と、逆に自分と同じ感じ方をする人が他にもいるんだと共感するケースがあると思う(エッセイなどは圧倒的にこっちのタイプが好み)。この本は確実に後者。

どうして社会生活においては、どう考えても気が合うはずのない人間同士が、何かしらの必要により、合い寄って共に過ごさなければならない羽目に陥ってしまうんだろう。(中略)近くに寄らなければ、お互い気まずい思いをすることもないのに。けれどその気まずさを避けて通ることは不可能なのだということを、社会不適応ぎみのわたしでも、よく知っていた。それが、いまいましかった。つまらなかった。悲しかった。(246号)

憂鬱な時間をやり過ごすスタンダードな方法は、わたしの場合、女友だちとの長電話だ。それもなるべく口の悪い友だちとの。
憂鬱な時は、善意とか気配りとかおもんぱかりといった類のものが表面にじみ出ている人とは、ふれあいたくなくなるのだ。(荻窪

少々悲しいことではあるが、「行きつけ」というもの自体に対する面はゆさも、実はわたしの中にはあるのだ。現にお店の人がわたしの顔を覚えたなと思った途端に、その店に足が向かなくなったことが今までに何回もある。(日本橋

いわゆる『常連さん』になって顔と名前を覚えられるまで通ったのは、46年生きてきてたった2度。学生のころ通い詰めた喫茶店と旭川で通ってた美容室だけのわたしにとっては、川上さんの言う「面はゆさ」がよくわかる。